昨日、富山国際会議場で開かれた内閣府主催の「青少年育成支援機関に関する中部ブロック連携会議のコーディネーターを務めた後、宇奈月自立塾に戻り朝を迎えた。
1月15日(旧成人の日)は、私にとっては誕生日以上の特別な日である。
私が主宰する「教育研究所」(その後、NPO法人教育研究所と名称を変更)を開くために、当時24歳の私が横浜市磯子区洋光台3丁目に引越し、居を構えた日である。
あれから早いもので44年が経過した。
今でいう学習塾のようなもので、近所の子ども達に交じって、長欠児(不登校の子)が教育相談と遅れた学習を取り戻しに来ていた。
(詳しくは池上彰が聞く、僕達が学校に行けなかった理由 2003年6月オクムラ書店発行を読んでください。対談で掲載)
当時、私は一応教育心理の研究者であった。
臨床から学びたいという本音があった。その当時、長欠児の家庭訪問(今でいうアウトリーチ)を研究所の傍ら行っていた。
研究所では、知能検査、学力検査、心理検査を全員に行い。知能検査では素点と教育点の比較を行い。知能と学力の相関を調べ、大きな乖離(かいり)がある場合には、心理検査でなぜ乖離が見られるのか、学習支援だけではなく、本人と保護者の面接を毎月行っていた。
教育は他人との競争(学校の成績)ではなく、その子が持っている能力をどう引きしてあげるかが、一番大切なものであると考えていたからである。そして、長欠児と普通の児童生徒の違いについて探っていた。
また、読解力の乏しい子はなぜ力がないのか、語彙数、言葉の並べ替え、短文を作れるか、その上、本を読み、知識を蓄える力をどうつけるのかを考えるために、私は小中学生に論理という教科を作り、週一回、教えていた。
言葉の数が不足している子には、保護者との会話の中に、その子のボキャブラリーよりちょっと上の言葉を使い、言葉の数が増えるように保護者を指導した。優しい保護者は、子どもが分かるように優しい言葉だけで話すので、その能力がつかないこともわかってきたので、あえてそのような指導を行った。そして、半年に一度は、知能検査を行い検証した。
無論、他の先生方は算数・数学、英語などの教科を教えていた。
論理という教科は、教科と教科の連携や思考力・表現力をつける教科と考えて頂ければよい。
私が当時、やっていた、ほんの一部であるが、紹介する。
小学5年生程度の子どもを5から6人でグループを作り、りんごを1つ机の上に置き、観察してもらう。
表現の仕方は2通り、観察文とそのりんごから連想できる、物語文である。
観察文では、写生のごとく、注意深く観察してもらい、大きさ、色具合、傷、等を文章化して表現する。それを1週間後、本人以外の子がその文を読み、実際にりんごの絵を描いてもらう。
また、物語文ではりんごを見て、ものがたりを想像して童話を作ってもらった。
観察力や想像力が育つと、自宅から1リットル入りの飲んでしまった紙牛乳パックをもってきてもらう。明治だったり、森永だったり、たかなしだったり、生協牛乳だったり、色々集まる。そのからパックに水を入れ観察する。そして、容積を測るために、たて、よこ、高さを測り、掛け算し、本当に1000CC(1000ml)なるか、計算する。しかし、みんな、計算するが、1000にならない。990とか991になる。
どうしてそうなるのか考えてもらう。
なかには、牛乳屋がいんちきしている。頂上の三角形の中に牛乳が入っているのではないか、それなら、新しい牛乳パックを用意して、針で穴をあけ、実際に入っているか調べてみる。入っていない。
おかしい、やはり、牛乳屋はだましているんだと、みんな口をそろえていう。メスシリンダーをもってきて測る。すると、1000CCぴったり、牛乳屋さんだましてないね、どうしてそうなるのか、また、みんな牛乳パックを凝視する。
一人の子が「わかった!牛乳パック、直方体ではないんだ、しもぶくれでお父さんの腹のように膨らんでいる、その中に牛乳が入っているんだ。と、答える。正解である。
そこに気がつかず、みんなが牛乳屋さんをやったら、会社が潰れるね、と、他の子が言う。そして、数学の先生にしもぶくれのところを計算する方法を教えてもらおうと、誰かが言いだす。
小学6年生は、卒業論文を書く、原稿用紙40枚みんな挑戦する、そしてみんな書ける、みんなの書いた物を作品集にして、卒業記念にする。
自信が付き、長欠児も中学には、みんなと同じように通学し始める。
これは、ほんの一部だが、色々なことをやった。
それが、文部省にもやがて、認められ、民間教育施設では第一号の出席を認められた施設になり、今の適応指導教室の一部、雛型になった。
創立50年までには、それらの指導記録をまとめたいと思っているが、時間がない。また、それを本にしてくれる出版社が現れるかである。